フランチャイズの起源〜その歴史を紐解く〜

自らの確立した販売方法を他人に貸し出し、その売り上げの一部を徴収するシステムは19世紀後半のアメリカで始まったとされます。その後、第二次世界大戦を経て「フランチャイズ」という言葉が日本に伝わったのは、戦後処理を終えた日本が国際連合に加盟した19556年のことです。

本記事ではフランチャイズがいつ誕生して日本に伝わり、現在のような形となったのかを見ていきます。

始まりはミシン会社

1851年、アメリカ人発明家のアイザック・シンガー※はミシン製造会社を設立しました。シンガーの作る「シンガー・ソーイングミシン」は使いやすさや実用性に優れていたため、一般家庭用としてたちまち普及していきます。

シンガーはミシンの販売に際し、販売店に販売地域を指定させ、販売権を与え、その売上額に応じた金額を徴収するという方式を採用しました。これが、のちのフランチャイズシステムの始まりだと言われています。

アイザック・シンガーが1854年に特許を取得したミシン(参照:Wikipedia)

代理店に近かったフランチャイズ

当時のフランチャイズは、製品のみの販売権を他店に与えるだけのいわば代理店に近いものだったため、「製品フランチャイズ」(=商標フランチャイズ)と呼ばれています。

1900年以降、このフランチャイズ方式は非常に効率的だったため売り上げも伸びていき、ミシンほか、自動車およびその部品、ガソリンスタンド、ドラッグストア、ソフトドリンクなどの業界でも普及します。1920年代〜30年代で流行ったこの方式は「伝統的フランチャイズ」とも呼ばれ、現代のフランチャイズの原型となりました。

経営提供型フランチャイズの登場

第二次世界対戦後、これまでの販売権を付与する「伝統的フランチャイズ」から現代版に近い「経営提供型フランチャイズ」が主流になっていきます。

2つの主なフランチャイズシステム

製品フランチャイズ 製品の販売権利を付与するのみ形式。伝統的フランチャイズ。
経営提供型フランチャイズ 経営ノウハウや業界情報などを一つのパッケージにして提供する形式。「ビジネスフォーマット型フランチャイズ」とも呼ぶ。

20世紀中頃になると、アメリカでは戦争に参加していた多くの若い兵士が帰国し、仕事を探すようになり、大量の働き口が必要になりました。

同時期に、「コカコーラ」「ケンタッキー・フライドチキン」「マクドナルド」「ミスタードーナッツ」「ダンキンドーナッツ」などが登場し、独自の経営方法や従業員育成法をマニュアル化して、一つの確立したパッケージとしてチェーン展開をする方式が誕生しました。この方式は「ビジネスフォーマット型フランチャイズ」とも呼ばれます。

KFC創業者カーネル・サンダース(写真右)(参照:Wiipedia)

ノウハウが提供されることで、それまで経営経験のなかった兵士や若者も比較的容易に店を構えることができるようになったため、「フランチャイズ・ブーム」となりました。

その後、「経営提供型フランチャイズ」は外食産業を中心として、コンビニやスーパーマーケットなどの小売業や、塾経営、ジム経営などのサービス業などにも広がっていきました。現在では米小売り企業の3分の1をフランチャイズが占めるまでに至りました。

「経営提供型」フランチャイズチェーンを始めたアメリカ企業

企業名 創業者 創業年
コカ・コーラ エイサ・グリッグス・キャンドラー 1892年
ダンキンドーナッツ ウィリアム・ローゼンバーグ 1950年
ケンタッキー・フライドチキン カーネル・サンダース 1952年
マクドナルド レイ・クロック 1955年
ミスタードーナッツ ハリー・ウィノクール 1955年

アイザック・メリット・シンガーはアメリカの発明家で、ミシンを世界に広めたパイオニアとして知られる。「Singer Sewing Machine Company」の創設者で、同社は、1860年代には世界最大のミシンメーカーとなり、数多くの特許を取得。1885年、世界初となる振動シャトルミシンを開発、同年のパリ世界博覧会では1位を獲得する。1910年には家庭用電気ミシンの量産を開始し、1913年には130万台を集荷した。1958年、シンガーはコスト削減のためアメリカの主要工場での生産を減らし、生産量の40%をスコットランドのクライドバンク工場に移転することを決心。しかし、徐々に経営は悪化していき、1970年半ばには、16000人いた従業員は5000人にまで減少。そして1980年6月、100年以上続いた世界最大のミシン工場は閉鎖に追い込まれ、98年、建物は取り壊された。

日本における「フランチャイズ」のはじまり

フランチャイズという概念が海を渡って日本にやってきたのは1960年代始めのことです。

ボトラーシステム

1956年、日本コカ・コーラが設立され、指定されたエリアごとに原液を水で薄めて瓶詰めにして販売するボトラーと呼ばれる業者とフランチャイズ契約を結びました。コカ・コーラとの契約は、いわゆる「ビジネスフォーマット型フランチャイズ」ではなく、むしろ商標提供型の「製品フランチャイズ」の性格に近いものでした。フランチャイザー(=本店)がコカ・コーラ本社なら、フランチャイジー(=加盟店)はボトラーという位置付けになります。

フランチャイザー コカ・コーラ本社
フランチャイジー 加盟店

コカ・コーラ社が作るコーラの製造方法は最高機密事項とされ、その構成成分を知っているものは一握りの幹部のみと言われています。
そのため、世界各地にあるボトリング工場での作業は、本社から輸送されてきた濃縮原液を炭酸水やコーンシロップなどで薄めて瓶詰めするのみとなります。

1941年 コカ・コーラ製造工場での瓶詰め(参照:Wikipedia)

ダスキン、不二家などが続々登場

日本で「ビジネスフォーマット型フランチャイズ」を広めたのは、清掃会社大手の「ダスキン※」や菓子メーカーの「不二家」とされます。

外国資本の自由化※(1969年)が始まると、「ケンタッキー・フライドチキン」「マクドナルド」といったファストフードが続々と日本に押し寄せ、フランチャイズが一気に広まることとなりました。

1973年には西友ストアが埼玉県にコンビニエンスストアの店舗を開設し、のちに「ファミリーマート」と名付けフランチャイズ展開を開始。74年には、ダイエーが食品会社と提携し、「ダイエーローソン」を設立し、大阪に1号店を出店させました。

同年、イトーヨーカドーはセブンイレブンを展開していた米サウスランド社と提携してヨークセブンを設立、東京都に1号店を出店しました。

現在のセブンイレブン1号店[豊洲](参照:Wikipedia LERK

1963年創業のダスキンは、早々からフランチャイズシステムを導入。1971年には米ミスタードーナッツと提携し外食産業へ参入した。

外国資本の自由化は、5回(1967年7月、1969年3月、1970年9月、1971年8月、1973年5月)に分けて行われた。

フランチャイズの現在

日本フランチャイズチェーン協会の統計調査によれば、国内フランチャイズチェーン数は1329チェーンで、前年度比で8チェーン増え、6年連続で増加しました(2015年度)。国内総店舗数は7年連続の増加となる26万992店舗(前年度比1868店舗増加)、売上高は6年連続増加の24兆5945億円(前年度比4608億円増加)となっています。

「外食」に限ると、前年度より7チェーン増えて569チェーン、店舗数は362店舗減り、5万8548店舗となりました。売上高は4兆580億200万円で前年度より465億3700万円減少しました。少子高齢化や人口現象の影響はあるものの、フランチャイズ市場は堅実に広がっていると言えます

フランチャイズ統計(外食業)

2014年 2015年 増減
チェーン数 562 569 7
店舗数 5万8910 5万8548 △362
売上高 4兆1045億3900万 4兆580億200万 △465億3700万

(日本フランチャイズチェーン公表資料より作成)